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情報漏えいの事例など、情報セキュリティ意識を高めるブログ

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最近のスマホゲームは射幸心煽り過ぎ。ガチャを引くのが目的になってない?

グラブルとかパズドラとかモンストとか、最近の日本のスマホゲームは完全にガチャゲーだ。ゲームやってて一番楽しい瞬間ってガチャ回している瞬間だったりしないんだろうか。もはやそれってゲームやってるって言うんだろうか。

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個人的にはコンシューマーゲームとかスマホゲームとかその辺の境界にあまり拘りはないけれど、それでもガチャをメインとしたスマホゲームはもはやゲームというよりコンテンツ消費型エンターテインメントみたいな感じがする。次から次に出てくるアイドルの曲聞いて推しメン変え続ける感じ。多分。

もちろん、1回お客様に買ってもらえばちゃんちゃんなコンシューマーゲームと、継続的にお客様を満足させる必要があるスマホゲームとでは戦略は全く変わってくる。継続的という言葉が入った瞬間にヒット商品を次々と生み出していく必要がある。

そしてそれ以上に難しいのは、MMORPGなどと同じく複数の人間がそのゲームを同時にプレイしていることに尽きる。

ゲーム性、つまりゲームバランス

誤解をまねく言い方かも知れないが、正直有料ガチャがスマホゲームをダメにしたんだと思う。そりゃ、ビジネスとしてはガチャは天才的だったかも知れない。中々日本で展開することのできないギャンブル性の高い要素をうまく今時のゲームに取り込み、莫大な利益を出し続けているのだから。

でも、ゲームという観点で見てみたらどうだろうか。有料ガチャで次々に強力なキャラを投入していくモデルは、ゲームデザインという観点から見ると完全に失敗だろう。そんなゲームモデルをとってしまったら、消耗していくしかない。

 

ゲームとはある人に対して、何らかのゴールを、娯楽性と共に提供するエンターテインメントだと私は思っている。RPGであれば世界を脅かすボスと戦い勝利すること、パズルゲームであれば高難易度の面をクリアすること、リズムゲーならきたさいたま2000をクリアすること、などなど。

そしてそのゴールをより高く、難しいものにするためにゲームの難易度調整が行われる。ちょうど良いバランスというのは、ある一定の努力に対して明確な進歩が見られるような関連付けだ。例えばレベルを3上げればメラミを覚えて強くなる、折り返し連鎖を覚えることで6連鎖以上組めるようになる、など。

その関連付けが上手ければ上手いほど人はナチュラルにゲームにのめり込んでいき、その集大成としてラスボスだったり、最終面が存在する。コンシューマーゲームは得てして、ある一定の終わりが設けられている。

不特定多数がプレイ→差別化が必要→ガチャ

スマホゲームの中でも例えばTemple RunやAngry Birdのようなゲームはシリーズ物になっている。ひとつひとつは定額制で(アイテム課金は存在するが)、それほど射幸心を煽るものではない。すると、スマホゲームは別にガチャに頼らなくても継続的にお客様を満足させることはできるように思える。

しかし、上記のようなゲームも一人用だ。不特定多数のプレーヤーが同時にプレイするゲームは、正直全員が同じ設定だったら何一つ面白くない。全員覚えている技が同じ、装備も同じドラクエ10って何か楽しいのだろうか。

MMORPGなどに代表される多人数型ゲームでは、ゲーム内での差別化がとても重要になってくる。それはゲームのプレイ歴だったり、プレイヤースキルだったり、所属するギルドの名声だったり討伐数だったり様々な指標がある。もちろん、その中には強力な敵を倒した際に入手するレアドロップアイテムも含まれる。

そうした差別化が人々の所有欲を満たしてくれたり、持たざるプレーヤーはいつか持つ方に回ろうと努力する気が起きたり、様々な好循環を生む。MMORPGの場合はその調整が上手すぎて、リアルの生活と同化してしまうことがあるのが危険だが。

ガチャ(=お金)で差別化がゲーム終焉の悲劇に

差別化で重要なのは、”時間がかかる”という点だと私は思う。格闘ゲームを始めたばかりの人が熟練者並に空中コンボを決めることはできないし、Evansをピロピロ弾いてしまうこともない。時間を投資し、練習することで初めて差別化が生まれる。

それはMMORPGでも同じで、一週間に一度しかポーンしないボスのラストアタックを手に入れて初めて強力な武器が手に入る。そしてその希少性から市場価値も生まれるし、そう簡単に追いつけないアドバンテージを生み出すことにもなる。それが、健全なゲームの差別化のやり方だろう。

しかし、ガチャゲーは話が全く違う。モンストやパズドラなどにおいて重要視されるのはいかに強力なモンスターを入手しているかどうか、である。そしてそれは、どれだけお金をガチャにつぎ込み、強力なモンスターを揃えたかどうかというお金のパワーゲームでしかない。そこには差別化などない。お金をつぎ込めば誰でも同じ域に達してしまうのだから。

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しかも、ゲーム内のバランスはそれら有料のキャラクターを所持している前提で次々に高難易度ステージが設定されるため、従来のユーザーはガチャをしない間にあっという間に遅れてしまう。

ゲームで重要なゲームバランスと差別化という概念二つを同時に吹き飛ばしてしまうのが、この有料ガチャのもっとも悪いところだろう。

射幸心を煽りまくるテキスト、可愛いイラスト、強力なステータス

 毎回なんたら祭、なんたら記念、なんたら〜の度に見かける”最強の!!”、”最強を超えた!!”、”異次元の!!”とドラゴンボール〜にインフレしていくテキストと、それに合わせて従来のゲームバランスからかけ離れた性能を持つキャラ。

それらはとても可愛いキャラクターだったり、イケメンすぎるキャラクターだったりすることも多い。”限定”で”最強”で”可愛い”なら欲しくなっちゃうよね。

ゲームバランスや差別化といった重要な概念をあっけなく吹っ飛ばしてしまうような要素がお金さえつぎ込めばお手軽に手に入ってしまうゲームは、長く持ちようがない。そんなの当たり前だ。パズドラも正直よく持った方だと思う。

そうじゃないと思うかも知れない。でも考えてみてほしい。例えばパズドラやモンストはコンシューマーゲーム化されているけど、やりたいと思うだろうか。思わない人の方が多いのではと推測する。

操作性の違いなどもあるだろうけど、結局コンシューマーのパズドラとスマホゲーのパズドラの最大の違いは有料ガチャの有無だ。ガチャがないからつまらない。やりたくない。それだけ。それだけ有料ガチャが回している瞬間が楽しいんだろう。

ガチャゲーと呼ばれるゆえん、それはガチャを回す瞬間を最高の娯楽に仕上げるからだ。ガチャを回す瞬間を最高に楽しいものにするために、強力なステータス、可愛く刺激的なイラスト、専用の接待ステージ、分かりやすい色づけ(虹色、金、銀)などありとあらゆる工夫をする。

そう、これらスマホゲームのゴールはラスボスを倒すことじゃない。ガチャを引かせることになっている。 ガチャを引いた後は、ただただ残ったコンテンツを消費するだけのゲームだ。

消費し終わったら、また新しい刺激が必要だ。それも前よりも大きな刺激が。そしてより強く、可愛く、魅惑的なキャラクターが作られていくんだろう。welcome to endless gacha.

 

いつまでガチャゲーのブームは続くのだろうか。

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